学問のすすめ       福沢諭吉【著】岬龍一郎【訳・解説】

     自分の道を

     自分で切り開くために

 

いま、なぜ『学問のすすめ』なのか

 

独立の精神こそ民主主義の要

 いまさら明治時代の啓蒙思想家である福沢諭吉の『学問のすすめ』など、時代錯誤もはなはだしく、カビ臭くて読めるか、などという人がもしいるとするなら、おそらくその人は、この本を一度も読んだことのない人の言葉だろう。

 なぜなら、この本は、あの大変革期の明治の初頭、怒涛のごとく押し寄せた文明開化の波に翻弄される封建的日本人の体質を、一日も早く“近代文明人”に生まれ変わらせるためには何が必要かと、その価値観をやさしく提示しているからである。

 つまり、西洋諸国と伍して生きる国民となるためには、まず何よりも国民一人ひとりに「独立の精神」が急務であることを説き、この独立の精神こそ文明社会の礎である個人主義の基本であることを教えたのである。

 いま私たちは民主主義の時代に生きている。いうまでもなく民主主義の基盤は個人主義であるのだが、その個人主義は保たれているのだろうか。いつしか個人主義を利己主義とはき違え、自分さえ得をすれば何をしてもいいと思ってはいないか。その違いを福沢諭吉はこの本で提示し、文明人としての生き方を説くのである。

 解説のところでも詳しく書くが、では「独立の精神」とはなにか。福沢はいう。

「自分で自分の心を支配し、他に頼りする心がないこと」

すなわち、他人の考えに影響されず、自分で物事の善悪を見極め、自分の行動に間違いを起こさぬ者を独立の人をいうのである。

 先にこの本を「カビ臭い」とか「時代錯誤」とかいった人は、このことがわかって批判しているのだろうか。だとしたら、世の中には補助金に頼る者も、談合でもたれ合う者も、上司の命令だからと不正のラベルを貼り替える者も、鳥インフルエンザ事件のような虚偽の報告をする者も、世にはびこる多くのインチキ・不正はなくなっているはずだが、これはどうしたことか。

 要するに、福沢の唱えた「独立の精神」など、経済大国とおごっている今日の現在人は、いまだ持ち合わせていないからである。何かといえば他人のせいにし、権力に脅かされば即座に節を曲げ、利益があるとなれば善悪の見境なくそれを求める。インチキ商法はいうに及ばず、コネをつけての天下りや就職口を探すのも、要は独立心の欠如から生じているのだ。

 

『学問のすすめ』は武士道で精神を具現化した本

 以前、私は新渡戸稲造の『武士道』(PHP研究所刊)を現代語訳させてもらったが、『学問のすすめ』はこの武士道精神をより具体的に説いた実学の本といえる。

 武士道は、三民(農工商)の上に立つサムライの精神として、「上に立つ者の義務」を説いた。すなわち、厳しい自己規律をもって、不正や卑劣な行動を禁じ、いかに気高く生きるかを説いた行動の美学である。したがってサムライたる者の行動基準は、五常の徳(仁義礼智信)を基に「仁義」「節義」「忠義」「信義」「礼節」などに置き換え、さらには「廉恥」「潔白」

「勇気」「名誉」などの徳を加えて、「三民の見本」となるべき生き方を要求した。

 じつのところ、この精神は福沢のいう「独立自尊」と同じことであり、いわば福沢は、明治になって武士階級がなくなったいま、その価値観をミドルクラス(中流階級の知的層)に求めるために、この『学問のすすめ』を書いたともいえるのである。武士道と最も違うのは、これらの生き方をもっとやさしく説いたものであり、「実学」という合理主義的な考えを入れたことである。

 したがって、この本は『武士道』が上に立つ者に訴えたかったことを、市民平等となった近代社会で国民全員が持つべき価値観を平明に書いた本だったといえるのである。ゆえに、その価値観が失われた現代(いま)こそ、『学問のすすめ』を読む必要がある。と私は思うのである。健全な社会と美しい自己を確立するためにも・・・・・・・・・・・。

 

 平成十六年薫風薫る五月吉日

                             岬龍一郎.

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